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アッリアノス

ルキウス・フラウィオス・アッリアノス・クセノフォン古希: Ἀρριανός: Lucius Flavius Arrianus Xenophon)は、2世紀ローマギリシア人政治家歴史家である。アリアノスまたはアリアヌス[1]とも表記する。アレクサンドロス3世(大王)の東征研究の一級の史料アレクサンドロス東征記』(古希: Ἀλεξάνδρου ἀνάβασις/Alexandrou anabasis、直訳すれば『アレクサンドロスのアナバシス』)の著者として有名である。

アッリアノスの頭像

生涯

アッリアノスはビテュニアニコメディアでローマ市民権をもって生まれた。エピルスニコポリスで哲学者エピクテトスに学び、師の言葉を筆録した『語録』と師の教えの要約である『提要』を著した。

(アウィディウス・ニグリヌス)の知己を得てローマ帝国の官職・軍職に携わった。トラヤヌスパルティア遠征に従軍したのではないかという説がある。次にハドリアヌスが即位すると、ニグリヌスは皇位をうかがったかどで処刑されたが、アッリアノスは新帝に認められた。

125年頃にアッリアノスがヒスパーニア・バエティカ属州総督を務めた可能性を示す祭壇碑文が見つかっている。129年ないし130年執政官となった。130年からおそらく137年まで、属州カッパドキアに総督として派遣された。カッパドキアで長年総督を務めるうちに、(アラニ)人の侵攻の情報をつかみ、これに軍を向けて断念させた。総督を辞した際あるいはそのしばらく後に、公職から引退した。

「執政官級の高官にして哲学者」との評判を保ちつつ、アテナイ市民権を取得し同市に居住した。没年は不明である。

後に歴史家のカッシウス・ディオが彼の伝記を書いたと伝えられているが、現存していない。

著作

哲学と歴史・地誌に著作がある。現代最も有名なのは、『アレクサンドロス東征記』で、これは現存する古代のアレクサンドロス3世の伝の中で最も信頼できるものと評される。アッリアノスは遠征から四百年の間に記された記録を参照し、とりわけプトレマイオス1世(アリストブロス)(英語版)という二人の従軍者に信をおいた。東征記は客観的姿勢の高さをもって知られるが、その関心は軍事を主とし地誌を従とするもので、政治の記述は表面的なものにとどまる。大王個人の性格については、神話上の英雄との比較に大真面目にとりくむなど現代人の姿勢とかけ離れたものが目立つが、アッリアノスにとってはそれも理由がある。神話的英雄神へのライバル意識がアレクサンドロスを大事業に駆り立てた動機だったと説明するのである。

アッリアノスの他の著作には、断片のみが伝わり本体が失われたものが多い。

著作リスト

 
Alexandri anabasis, 1575
  • 『アレクサンドロス東征記』(全7巻、現存)
  • 『インド誌』(現存)
大牟田章訳『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』東海大学出版会、1996年(本文篇と註釈篇の二冊からなる)。岩波文庫から上下巻で解説と注釈と索引を簡約なものにしたものが2001年に出ている。
鹿野治助訳『人生談義』岩波文庫(全2冊)、初版1958年。『語録』と『提要』と他者のエピクテトスへの言及を集めた『断片』からなる。
  • 『狩猟論』
  • 『黒海周航記』(英:Periplus Pontus Euxini)
  • 『アラニ人に対する布陣』
  • 『戦術論』(136年または137年)
  • その他

脚注

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  1. ^ アリアヌス - Yahoo!百科事典

参考文献

  • 大牟田章『アレクサンドロス大王東征記』、岩波文庫、2001年所収「解説」
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