アウレリオ・アンドレアッツォーリ(Aurelio Andreazzoli,1953年11月5日 - )はイタリア・マッサ出身のサッカー指導者。
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ASローマ時代 | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Aurelio Andreazzoli | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1953年11月5日(69歳) | |||||
出身地 | マッサ | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1987-1990 | オルトノーヴォ | |||||
1990-1991 | (ピエトラサンタ) | |||||
1991-1992 | (カステルヌオーヴォ) | |||||
1992-1994 | ルッケーゼ(ユース) | |||||
1994-1996 | (マッセーゼ) | |||||
1996-1998 | フィオレンティーナ(ユース) | |||||
1998-1999 | (テンピオ) | |||||
1999-2001 | (アリアネーゼ) | |||||
2001-2002 | グロッセート | |||||
2003 | アレッサンドリア | |||||
2013 | ローマ(暫定) | |||||
2017-2018 | エンポリ | |||||
2019 | エンポリ | |||||
2019 | ジェノア | |||||
2021-2022 | エンポリ | |||||
2022-2023 | テルナーナ | |||||
(■テンプレート)((■ノート) ■解説)■サッカー選手pj |
指導者歴
ASローマ
2005年、アンドレアッツォーリはASローマの監督に就任したルチアーノ・スパレッティのアシスタントコーチに就任した。スパレッティがASローマの監督を辞任した際にアンドレアッツォーリもASローマを去ったが、2011年にヴィンチェンツォ・モンテッラ監督によって呼び戻され、アシスタントコーチに就任した。その後、ルイス・エンリケ、ズデネク・ゼーマンが就任してからも、テクニカルスタッフとしてチームに残った。
2013年2月2日、解任されたゼーマンの後任として、2012-13シーズンまで暫定的に監督に就任した[1]。 監督就任後、セリエAのユヴェントスFC戦で1-0で勝利し、初勝利を挙げた[2]。 2013年4月8日、監督として初めてSSラツィオとのローマ・ダービーで指揮し、1-1で引き分けた。2013年4月17日、コッパ・イタリア準決勝でインテルに2-3で勝利し決勝に進出した。2013年5月23日、コッパ・イタリア決勝のSSラツィオ戦は0-1で敗れた[3]。
2013年6月12日、リュディ・ガルシアがアンドレアッツォーリの後任として監督に就任することをジェームズ・パロッタ会長が発表し、アンドレアッツォーリは監督を退任した[4]。
エンポリFC
2017年12月17日、ヴィチェンツォ・ヴィヴァリーニの後任として、セリエBのエンポリFCの監督に就任した[5]。クラブをセリエB優勝に導き、1部昇格を果たした。2018年5月21日に契約を2021年まで延長した[6]。
脚注
- ^ “OFFICIAL: ROMA SACK ZEMAN”. Football Italia (2013年2月2日). 2016年7月27日閲覧。
- ^ “Roma 1-0 Juventus: Champions shocked by Totti thunderbolt”. Goal.com (2013年2月16日). 2013年7月25日閲覧。
- ^ “Lazio beat rivals Roma in Coppa Italia final”. BBC Sport (2013年5月26日). 2013年6月6日閲覧。
- ^ “06/12/2013: RUDI GARCIA”. asroma.it. Rome: A.S. Roma (2013年6月12日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ “UFFICIALE | E’ Aurelio Andreazzoli il nuovo allenatore dell’Empoli” (Italian). Pianeta Empoli. (2017年12月17日)2018年1月30日閲覧。
- ^ “セリエA昇格のエンポリ、元ローマ指揮官と契約延長…今季2部独走優勝”. サッカーキング. (2018年5月23日)2018年6月6日閲覧。