» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

なぎら健壱

なぎら 健壱(なぎら けんいち、1952年昭和27年〉4月16日 - )は、日本シンガーソングライター俳優タレント。本名は柳楽 健一(読みは芸名と同じ)。旧芸名・なぎら けんいち。

なぎら けんいち
なぎら 健壱
本名 柳楽 健一
別名義 なぎら けんいち
生年月日 (1952-04-16) 1952年4月16日(71歳)
出生地 日本東京都中央区銀座(旧・木挽町)
国籍 日本
民族 日本人
血液型 O型
職業 シンガーソングライター
俳優
タレント
漫談家
エッセイスト
ジャンル テレビドラマ
バラエティ番組 など
活動期間 1972年 - 現在
配偶者 あり
著名な家族 長男:(eito.08)(音楽家
公式サイト / ROOTS CO.,LTD.
(テンプレートを表示)

東京都中央区銀座(旧・木挽町)出身[1]血液型O型

長男は、ヒップホップユニットのREMのボーカルであるeito.08(柳楽詠人)。弟子に(中里トシ)、田代ともや、(プロフェッサー佐藤)がいる。

来歴・人物

父は宝石箱をつくる職人をしていた。中央区銀座東(旧・木挽町)から、小学校3年のときに葛飾区金町に転居[2][3]葛飾区立末広小学校卒業、(葛飾区立金町中学校)卒業[4]東京都立本所工業高等学校卒業専門学校・(ヴィジアルデザイン研究所)で、グラフィックデザインの勉強をする。

高石友也に感化され、アングラフォークに目覚める。後に五つの赤い風船西岡たかしや、高田渡に影響を受ける。1970年岐阜県中津川で行われた全日本フォークジャンボリーにアマチュアとして飛び入り参加し(同年ひがしのひとしも同じく参加している)ライブ盤に収録された。なぎらが注目されたのは1971年の第3回全日本フォークジャンボリーだった[5]。おもむろにステージに登場したなぎらはアングラ・フォークの名作・加川良の「教訓I」を「いもちゅうは六十度…」と歌詞を変えて歌い、大ウケ[5]。以降、替え歌の名人と異名を取り[5]吉田拓郎の大ヒット曲「旅の宿」を「土方のきみは木綿のふんどし 冷焼酎の首つまんで もう一発いっぱいいかがなんて みょうに色っぽいね」と歌った「旅のドヤ」は名作とされる[5]

1972年『万年床』でアルバムデビュー。

なぎらの名前を全国に轟かせたのが1974年1月25日にリリースしたシングル「悲惨な戦い」だった[5]。同曲はフィクションにもかかわらず実話と聴き手は錯覚してしまうほどよく出来ており、日本相撲協会が「国技をなめているのか」とカンカンに怒り[5]、発売元のエレックレコードがそのことを宣伝のネタに使い、ますます怒りを買った[5]。この影響か不明ではあるが、放送禁止歌になり、ラジオやテレビから締め出された[5]

1976年日本青年館での実況録音盤『(永遠の絆)』は、司会のタモリ生田敬太郎大塚まさじ加川良斉藤哲夫シバ高田渡よしだよしこ渡辺勝らが盛り立てた。1982年には坂田おさむとユニット「フォークマン・ブラザーズ」を結成し、活動した[6]

1976年に出演した『嗚呼!!花の応援団』(日活)での薬痴寺先輩役で注目を浴びて以降、役者としても活動している[7]

音楽活動では1990年代後半以降、カントリー、ブルーグラス色の強い作品を発表。(カーター・ファミリー・ピッキング)を行う数少ないシンガーの1人である。

またタレントとしても数々のバラエティー番組に多く出演し、「オツだねー」「粋だねー」などのせりふを物まねされていることでも有名である。特にモノマネ芸人の古賀シュウに「チンカチンカのしゃっこいルービー【カチンカチンの冷たいビールをなぎらが“言いそう”な言い回しにするネタ】」という言い回しを真似されるが、本人は実際に言ったことはない。また東京の下町の庶民文化への造詣も深く、下町に関する著書も多い。これらが評価され、2015年より浅草公会堂の正面にあるスターの広場に彼の手形が設置された。

現在も吉祥寺横浜などを中心にライブ活動を続け、時に地方公演も行う。テレビ番組やライブの曲間に語る話には常軌を逸したものが多く、「いい加減なことを言う」「平気で(ネタとして)嘘を言う」キャラクターといわれているが、本人は「実際に見た話。〈おかしなもの〉にアンテナを張っているから見える」と語り、自らの本職を「語り部」と称している。また、本人は「いい加減さは高田純次さんの方が上」とも言っている。

タモリと非常に仲が良く、司会を務めている『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系列)、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)にゲスト出演した際には、よく「ビールの似合う」、「インチキくさい」などと言われることがある。『タモリ倶楽部』には「番組開始の1982年から、200回以上は出演していると思う」と語っている[8]

真冬以外はアロハシャツを着用し、トレードマークにもなっている。主なトレードマークは髭とメガネ。酒豪であり酒場好き。酒にまつわる著作も出版している[9]

また、カメラ[注 1](レンズを200以上所有している[10])、自転車落語、街歩き・散歩、がらくた収集[10]、(バイオリン演歌)など、多趣味でも知られる。とりわけリスナーとしてカントリーミュージックに傾倒し、日本の芸能界では唯一の(アラン・ジャクソン)(アメリカのカントリーシンガー)ファンクラブの会員といわれる。同じ下町出身で同世代の漫画家秋本治とも親交がある。フォークソングには造詣が深く、「日本フォーク私的大全」という本を出している[11]

2007年6月、自身がオーナーとなり学芸大学駅近く(目黒区鷹番)に「下町もんじゃ焼らくらく」をオープン[12][13]

2009年、第25回浅草芸能大賞奨励賞を受賞[14]

パソコンとの関わり

  • ラジオでの対談で、なぎら健壱本人がこのページを見て自ら校正をしていると発言(2013年1月30日、ニッポン放送高嶋ひでたけのあさラジ!」内)(2014年11月23日、NHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」内でも発言)。
  • 2006年10月、『月刊アスキー』(アスキー)編集長に就任する(月刊アスキー新装刊のプロモーションの一環としての“編集長”であり、実際に編集業務に携わったわけではない)。
  • 1980年代には既にパーソナルコンピュータ (PC) を購入していた。当時愛用していた機種は日本電気製「NEC PC-9800」。なぎらは当時を振り返って、「一太郎というワープロが、まだバージョン1か2」「フロッピーは(中略)5インチ」「マシン語なんかも憶えようとした」と語るなど、傾倒していたことを窺わせる。なお、長年MS-DOSを使いCUIに親しんできたなぎらは、GUIベースのWindowsシリーズが発売されると「かえって裏切られた気がして」一時PCから離れたという[15]

ディスコグラフィー

シングル

発売日 規格 規格品番 タイトル
エレックレコード
1974年1月25日 EP EB-1017 A 悲惨な戦い
B 一九七三年の思い出
1974年8月10日 EP EB-1027 A 葛飾にバッタを見た
B また淋しくなるね
カレイドスコープ
1974年 EP KS-1 A 一番電車
B ぶったまげ節
キャニオン・レコード
1975年12月25日 EP CX-102 A およげ!たいやきくん[注 2]
B いっぽんでもニンジン[注 2]
1976年4月 EP CX-103 A そらとぶさんりんしゃ[注 2]
B ママのみぎてはまほうのて[注 2]
ワーナー・パイオニア
1976年4月 EP L-2W A 流れ者に捧げる詩
B 風の街
1978年6月 EP L-227W A とべとべドラゴン
B 恐竜天国
キャニオン・レコード
1980年5月 EP CX-122 A おかしいゾウ[注 2]
B タヌキのあかちゃん[注 2][注 3]
1981年4月 EP CX-63 A フーセンのドラ太郎[注 4][注 5]
B 花いちもんめ
1981年6月 EP CX-65 A ドラ太郎音頭[注 4][注 5][注 6]
B 憧れは南風
フォーライフ・レコード
1983年10月 EP 7K-122 A アーパー・サーファー・ギャル[注 7]
B なぎらのマイムマイム[注 8]
1984年10月 EP 7K-158 A あの日から I Love You
B YASUOSAN
1985年 EP 7K-180 A ラブユー東京スポーツ[注 9]
B 下町(まち)[注 10]
東芝EMI
1990年12月12日 8cmCD TODT-2613 1 カンポ節[注 11][注 12]
2 東京村13番地
1992年12月16日 8cmCD TODT-2960 1 いつか風になって[注 13]
2 下町(まち)2
1993年6月23日 8cmCD TODT-3036 1 ひとり渚で[注 14]
2 この夜に
テイチク
2007年5月23日 CD TECA-12096 1 遥かな町[注 15]
2 夢の人
2010年2月3日 CD TECH-12208 1 踏切[注 16]
2 見果てぬ夢
Roots rec.
2013年7月24日 CD ROOTS-007 1 東スポワルツ[注 17]
2 東スポ博士

アルバム

  • 万年床(1972年、ビクター
  • 葛飾にバッタを見た(1973年1月1日、URC
  • 街の風になって(1974年3月1日、URC)
  • なぎらけんいちの奇癖(1974年7月1日、ビクター)
  • 春歌(1974年12月5日、カレイドスコープ
  • さすらいのばくち打ち(1976年6月1日、ワーナー・パイオニア
  • 永遠の絆 - なぎらけんいちリサイタル(1976年12月1日、ワーナー・パイオニア)
  • フォークマン・ブラザーズ(1983年6月21日、CBS・ソニー
  • 青春ラリアート―ライブアルバム(1985年3月1日、フォーライフ・レコード
  • この夜に(1993年7月7日、東芝EMI
  • ベスト・アルバム~中毒(1995年2月17日、フォーライフ)
    • ※再発売発起人は高田文夫でライナーノーツに寄稿している。また、なぎら自身による年譜も掲載されている。
  • Whoopee Water Band Vol.1(1999年12月10日、シールズ)
  • 日輪(2000年9月22日、HINAWA)
  • 下町のこころ〜東京のこっち側〜(アンサンブル)
  • 嘘のような本当の話vol.1 - トークアルバム(テイチクエンタテインメント
  • 嘘のような本当の話vol.2 - トークアルバム(テイチクエンタテインメント)
  • 裏技(テイチクエンタテインメント)
  • さすらいのばくち打ち(再発・タワーレコード限定)
  • 永遠の絆 - なぎらけんいちリサイタル(再発・タワーレコード限定)
  • 夜風に乾杯(初回限定盤)
    • ※ボーナスCD付。「いっぽんでもニンジン」と「葛飾にバッタを見た 2000」を収録。
  • 夜風に乾杯(通常盤)(2012年)
  • ふうくう(Roots rec.) ※「フォークシンガー」を収録。
  • N・KEN(Roots rec.)

出演

映画

テレビドラマ

アニメ

OVA

WEBアニメ

CM

バラエティ

ニュース・情報番組

スポーツ

ラジオ

その他

著作

  • 日本フォーク私的大全(ちくま文庫
  • 大江戸アウトドア(洋泉社)
  • 東京酒場漂流記(ちくま文庫)
  • 下町小僧(ちくま文庫)
  • ぼくらは下町たんけん隊(童心社)― 少年版
  • 新TOKYO八景 来るな!(テレビ朝日)― 共著
  • なぎら健壱の味勝負四十番(廣済堂出版
  • いいだろ?これ(IMS出版)― 共著
  • なぎら健壱な・み・だ・つぼ(祥伝社
  • 東京の江戸を遊ぶ(ちくま文庫)
  • ぼくらは下町探検隊(ちくま文庫)
  • 歌い屋たち(文藝春秋社)― 小説
  • 東京のこっちがわ(岳陽舎)― 写真集
  • タイムスリップ昭和30年代の歌 懐かしのヒット曲と出来事でよみがえる(英知出版)- 共著
  • 町のうしろ姿(岳陽舎)― 写真集
  • 東京居酒屋/夕べもここにいた!(毎日新聞社
  • 酒にまじわれば(文藝春秋社)
  • なぜ犬は「ポチ」なのか?(PHPエディターズ・グループ)
  • 絶滅食堂で逢いましょう(徳間書店
  • 東京路地裏暮景色(ちくま文庫)
  • 町の忘れもの(ちくま新書)
  • 五つの赤い風船とフォークの時代(アイノア)2012年7月発行
    • 関西フォークがやって来た! 五つの赤い風船の時代(ちくま文庫)2021年5月、改題
  • 酒場のたわごと(実業之日本社)2014年11月発行
  • 高田渡に会いに行く (駒草出版)2021年1月発行

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『ぶらり途中下車の旅』出演時は、オリンパス製のカメラを首からさげることが多い。
  2. ^ a b c d e f 『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。
  3. ^ 歌:鹿島のヒデヤ。
  4. ^ a b フジテレビ系アニメフーセンのドラ太郎』の主題歌。
  5. ^ a b みなみらんぼう作。
  6. ^ このレコードから名前の表記が芸名が『なぎらけんいち』から『なぎら健壱』となる。
  7. ^ オクラホマミキサーの曲に載って、サーファーギャルをこき下ろすコミックソング。
  8. ^ マイム・マイムの替え歌。
  9. ^ 首都圏の夕刊紙東京スポーツの大げさな見出しと内容のギャップをネタにしつつ、東京スポーツに対する愛情を表現したコミックソング。が、東京スポーツ側は、大まじめに「これは我々を賛美しているのだろうか?」と会議を行ったらしい。曲名は黒沢明とロス・プリモスの『ラブユー東京』のパロディーだが、曲調は全くの別物。
  10. ^ まじめに下町への郷愁をうたっている。
  11. ^ 大正製薬・漢方胃腸薬のCMソング
  12. ^ 作詞は秋元康
  13. ^ テレビ東京「(独占サイクルスポーツ)」エンディングテーマ曲。
  14. ^ CBC「(秀才組!土曜チェック)」エンディングテーマ曲。
  15. ^ NHKラジオ「(深夜便の歌)」。
  16. ^ 日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」エンディングテーマ曲。
  17. ^ 東京スポーツ・50周年記念ソング。

出典

  1. ^ “「趣味を仕事にするなら覚悟しなさいよ(笑)」なぎら健壱さんインタビュー(前編)”. キネヅカ (2017年11月17日). 2020年12月15日閲覧。
  2. ^ “【書評】なぎら健壱が綴る、消えゆく町への愛惜の念”. NEWSポストセブン. 2020年12月15日閲覧。
  3. ^ “フォークシンガー なぎら健壱(5)”. 日本経済新聞 (2017年7月14日). 2020年12月15日閲覧。
  4. ^ “葛飾区史|葛飾ゆかりの人”. www.city.katsushika.lg.jp. 2020年12月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 富澤一誠「悲惨な戦い なぎらけんいち」『青春のバイブル』(シンコーミュージック・エンタテイメントシンコーミュージック)、1993年、130頁。ISBN (4401614135)。 
  6. ^ “うたのおにいさん坂田おさむオフィシャルウェブサイト | なぎらさん40周年コンサートゲスト・・・の巻き”. 2020年12月15日閲覧。
  7. ^ “嗚呼!!花の応援団 役者やのォー”. www.nikkatsu.com. 2020年12月15日閲覧。
  8. ^ “なぎら健壱が語る『タモリ倶楽部』最高傑作は「北斗星に乗る」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]”. Smart FLASH[光文社週刊誌]スマフラ/スマートフラッシュ (2017年12月1日). 2020年12月15日閲覧。
  9. ^ 聡, 大竹. “我が生涯最悪の〈酒失敗談〉、あえなく惨敗す 『酒にまじわれば』 (なぎら健壱 著) | 大竹 聡 | 書評”. 本の話. 2020年12月15日閲覧。
  10. ^ a b “なぎら健壱さん(フォークシンガー、俳優、 タレント、エッセイスト) | プラチナage”. 2020年12月15日閲覧。
  11. ^ “筑摩書房 日本フォーク私的大全 / なぎら 健壱 著”. www.chikumashobo.co.jp. 2020年12月15日閲覧。
  12. ^ “【リストに加えたい有名人の店】なぎら健壱がオーナー「下町もんじゃ焼 らくらく」東京・学芸大学 - ライフ - ZAKZAK”. www.zakzak.co.jp. 2020年12月15日閲覧。
  13. ^ “下町もんじゃ焼 らくらくTwitter”. Twitter. 2020年12月15日閲覧。
  14. ^ “浅草芸能大賞 | 一般社団法人 漫才協会”. www.manzaikyokai.org. 2020年12月15日閲覧。
  15. ^ (伊藤隆太郎)「なぎら健壱編集長!?」『アエラ』Vol9、No45、朝日新聞社2006年9月25日、p81)
  16. ^ “”. メディア芸術データベース. 2016年9月20日閲覧。
  17. ^ “フーセンのドラ太郎”. 日本アニメーション. 2016年8月2日閲覧。

関連項目

  • 古賀シュウ - なぎらのモノマネを得意とする芸人。
  • - ものまねで『いっぽんでもニンジン』を歌ったことがある。
  • 坂崎幸之助(THE ALFEE) - フォークソングを通じて親しくなり、テレビ番組などで度々共演。「中津川渡」の変名で「東京フォークジャンボリーズ」というユニットをWOWOWの番組内で結成している。
  • 桜井敏雄 - 晩年になぎらと交流を持った演歌師。
  • (1972年の音楽#デビュー) - 同じ年にデビューした歌手

外部リンク

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。