『うしろの正面だあれ』(うしろのしょうめんだあれ)は、海老名香葉子著の児童文学作品。
太平洋戦争中の著者自身の体験を小説化したものである。1985年に金の星社から刊行された。
1991年3月、同名の劇場版アニメーション映画が公開された。
タイトルである『うしろの正面だあれ』は劇中で、かよ子たち子供が遊んでいる時の童歌の内のワンフレーズであるが、劇中で遊ばれている(唄われている)のは『かごめかごめ』ではなく『坊さん坊さん』の方である。
2005年公開の『あした元気にな〜れ!半分のさつまいも』は本作の続編にあたる。
あらすじ
この節の加筆が望まれています。 |
時は昭和15年。
東京墨田区に住んでいた少女かよ子は家族の中でも一番の末っ子。
そんな彼女は両親と祖母、3人の兄と平和な生活を送っていたが、日本は戦争に突入し、大空襲によりかよ子は疎開で家族や友達と離れることになる。
そして彼女の生活地はどんどん危機に侵されて行くことになる。
登場人物
「声」はアニメ劇場版の声優。
- 中根かよ子
- 声 - 三輪勝恵
- 本作の主人公。東京大空襲によって家族を失う。空襲を生き残った三兄の喜三郎とともに生活していくことになる。
- 中根音吉
- 声 - 若本規夫
- かよ子の父。和竿職人、三代目竿忠。妹のいる沼津市へかよ子を(縁故疎開)させる。ラストでは幻影として絶望していたかよ子に喜三郎と二人で自分たちの分まで幸せに生きるように励ます。
- 中根よし
- 声 - 池田昌子
- かよ子の母。温かい性格。物語序盤では四男・孝之輔を身籠もっている。かよ子に譲った兄・光太郎からもらったハーモニカが遺品となる。ラストでは幻影としてかよ子の前に最初に現れ、生きるように言い「かよ子は明るくて人に好かれる子だから一人になっても大丈夫」と励ましており、この言葉はVHS及びLDのパッケージの裏の紹介にも書かれている。
- 中根忠吉
- 声 - 海老名泰孝[1]
- かよ子の長兄。後からチフスという病気にかかり入院していたが無事退院した。東京大空襲の時は逃げ切ることができず命を落とした。
- 声を担当した海老名泰孝は原作者.海老名香代子の実子(長男)である。
- 中根竹次郎
- 声 - 佐々木望
- 次兄。丸い頭に、フチありのメガネをかけている。最終的には空襲で逃げきれずに、亡くなった。
- 中根喜三郎
- 声 - 野沢雅子
- 三兄。なかなかの根性の持ち主で、かよ子をいじめたいじめっ子を1人たりとも逃さない。それがきっかけでかよ子のいじめっ子たちに危害を加えてしまう。東京大空襲の時は彼1人だけ生き残る。だが、なぜ自分は死ねなかったと悲しみに暮れる中、東京へ帰る。その後はかよ子と共に生活していくことになる。
- 中根孝之輔
- 声 - 柳沢三千代
- 四男。物語の中盤で登場。かよ子の弟で明るい性格。東京大空襲の際に逃げ切れず幼くして亡くなってしまう。
- おばあちゃん
- 声 - 沼波輝枝
- かよ子の父方の祖母。根は優しいが冷たいところもあり、怒ると厳しくなる。かよ子に三味線の稽古をやらせようとする。東京大空襲の際に逃げ切れず亡くなってしてしまう。ラストでは幻影として生き延びたかよ子を褒め、喜三郎を探して仲良く暮らすように励ましている。
- 光太郎おじさん
- かよ子の母・よしの兄。父・忠吉の同級生。軍医であり、物語序盤から日中戦争で出征。太平洋戦争に入り、転戦先の(パプアニューギニア戦線)で戦死。姪のかよ子に優しく、戦地からの手紙でも身を案じていた。写真と、かよ子と行った縁日の回想シーンでのみ姿が登場する。
以下、小説のみの登場人物。
- おじいちゃん
- かよ子の父方の祖父。風邪ひとつひかない体だったが、物語の途中(昭和16年夏に)病気で死去。
- 神田のおばあちゃん
- かよ子の母方の祖母。神田で小売りの店を営んでおり、猫を飼っている。
劇場版
スタッフ
- 監督・絵コンテ - 有原誠治
- 脚本 - 今泉俊昭、有原誠治
- キャラクターデザイン・作画監督 - 小野隆哉
- 美術監督 - 小林七郎
- 色彩設定 - 西川裕子
- 撮影監督 - 諌川弘
- 編集 - 尾形治敏
- 音楽 - 小六禮次郎
- 音響監督 - 明田川進
- 音響担当 - 三間雅文
- 録音スタジオ - アオイスタジオ
- 効果 - 倉橋静男
- 画面構成 - 片渕須直
- 企画 - 鳥山英二、寺島鉄夫
- 製作者 - 国保徳丸、瀬戸義昭、西村豊治、橋本湛匡、伊藤叡
- アニメーション制作 - 虫プロダクション
- 製作 - 「うしろの正面だあれ」製作委員会(テレビ東京、スペース映像、にっかつ児童映画、アルファデザイン、虫プロダクション)
- 配給 - 共同映画
主題歌
- この曲は映画とのタイアップ用に作られた経緯により、レコード・CDとしては発売されていない。過去には白鳥がコンサートなどで稀に披露したことがあったが、近年は披露していない。
- なお、エンディングではフルバージョンで歌われているが、歌詞の冒頭は主人公であるかよ子のナレーションが入る中で歌われているため、白鳥の歌声とかよ子(三輪勝恵)の声が重なっており、歌詞を正確に聴き取ることは出来ない。
劇場版での描写と原作との違い
劇場版での描写と原作との間には、下記をはじめとしていくつか異なる点がある。原作では33話にわたる話を、劇場版では約90分間(活字化された書籍[2]では9話)に短縮したため、原作上のいくつかの話を接合して編集した描写も存在する。
題材 | 劇場版での描写 | 原作 |
---|---|---|
かよ子のオネショ | 小学生になってからも時々オネショをしていることになっている。 | 原作ではアイスキャンデーを食べてオネショをしたという描写があるが、むしろ他人よりも早くオムツがとれたことなど、オネショはほとんどしていない。 |
疎開先の叔母(音吉の妹)の名 | 正江。なお、続編の『あした元気にな~れ! 半分のさつまいも』では、原作通り静江となっている。 | 静江 |
疎開時の帰京 | 1945年3月下旬の春休みに帰京する予定であったが、東京大空襲があったため、中止。 | 1944年年末~1945年年始に帰京した。 |
終戦後の実家の焼け跡訪問 | 焼け跡となった実家に絶望してかよ子が泣き崩れている時に、「うしろの正面だあれ」の歌が聞こえ、目を開けると家族の幻影が現れた。 | 泣き崩れて目を閉じている時に「うしろの正面だあれ」の歌が聞こえてくるものの、目を開けた際には何もなかった。 |
影響
マッドハウス社長(当時)のプロデューサー丸山正雄は、本作品で画面構成を担当していた片渕須直の才能を見出し、以後、自社の作品の監督として採用するようになった[3][4]。
テレビアニメ『BLACK LAGOON』で評価を受けた片渕は、丸山から本当にやりたい作品は何かと問われ本作品のような作品と述べ、『マイマイ新子と千年の魔法』[4]、『この世界の片隅に』、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の制作へとつながった。
脚注
- ^ 当時「林家こぶ平」名義で芸能活動をしていたが、本作が実母である海老名香葉子の原作作品という経緯から、この作品には例外的に本名名義で出演している。正蔵が本名名義で出演した唯一の作品でもある。
- ^ 『うしろの正面だあれ―アニメ版』金の星社、1991年
- ^ “新文芸坐×アニメスタイル セレクションvol.138 『この世界の片隅に』六度目の夏”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2022年7月28日). 2022年9月8日閲覧。
- ^ a b 「吉田豪インタビュー 巨匠ハンター 9回戦 丸山正雄」『キャラクターランドSPECIAL ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』徳間書店〈HYPER MOOK〉、2017年2月5日、pp.93-97頁。ISBN (978-4-19-730144-7)。