瀬戸内町(せとうちちょう)は、鹿児島県の奄美群島にある町。大島郡に属し、奄美大島の南端部とその沿岸に位置する加計呂麻島、請島などの離島からなる。
せとうちちょう 瀬戸内町 | |
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国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 大島郡 |
市町村コード | 46525-9 |
法人番号 | 5000020465259 |
面積 | 239.65km2 |
総人口 | 7,973人 ([編集]) (推計人口、2023年4月1日) |
人口密度 | 33.3人/km2 |
隣接自治体 | 奄美市、大島郡宇検村 |
町の木 | ガジュマル・ソテツ |
町の花 | ハイビスカス |
瀬戸内町役場 | |
町長 | (鎌田愛人) |
所在地 | 〒894-1592 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋字船津23番地号 北緯28度08分47秒 東経129度18分54秒 / 北緯28.14644度 東経129.31489度座標: 北緯28度08分47秒 東経129度18分54秒 / 北緯28.14644度 東経129.31489度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |
ウィキプロジェクト |
地理
奄美大島の最南西端の地域と加計呂麻島・与路島・請島などの有人島を町域とし、東西28.8km、南北27.8kmに亘る比較的広い地域を有する。
古仁屋(こにや)は最も人口の密集した中心部で、商業、飲食業等の第三次産業も盛んであり、古仁屋港が他の島や各集落への拠点となっている。
地形は古生層からなる標高300-400メートルの山地が多く、リアス式海岸を形成し急峻に落ち込んでいる個所や入り江が多い。
- 無人島: 江仁屋離島ほか
- 西端: 東経129度8分4秒
- 東端: 東経129度25分47秒
- 南端: 北緯27度59分52秒
- 北端: 北緯28度15分19秒
隣接市町村
地名
町制施行60周年記念要覧[1]に基づく。
- 旧古仁屋町
- 阿木名(あぎな)
- 阿鉄(あてつ)
- 網野子(あみのこ)
- 伊須(いす)
- 勝浦(かちうら)
- 嘉鉄(かてつ)
- 嘉徳(かとく)
- 久根津(くねつ)
- 古仁屋(こにや)
- 大湊(おおみなと)
- 春日(かすが)
- 瀬久井(せくい)
- 高丘(たかおか)
- 船津(ふなつ)
- 松江(まつえ)
- 宮前(みやまえ)
- 古仁屋瀬久井西(こにやせくいにし。2001年、旧古仁屋より分離)
- 古仁屋瀬久井東(こにやせくいひがし。2001年、旧古仁屋より分離)
- 小名瀬(こなせ)
- 須手(すで)
- 清水(せいすい)
- 節子(せっこ)
- 蘇刈(そかる)
- 手安(てあん)
- 油井(ゆい)
- 旧鎮西村(加計呂麻島
- 秋徳(あきとく)
- 安脚場(あんきゃば)
- 池地(いけじ)
- 生間(いけんま)
- 伊子茂(いこも)
- 請阿室(うけあむろ) - 請島
- 於斉(おさい)- (以下は加計呂麻島
- 押角(おしかく)
- 勝能(かちゆき)
- 花富(けどみ)
- 佐知克(さちゆき)
- 諸数(しょかず)
- 諸鈍(しょどん)
- 勢里(せり)
- 徳浜(とくはま)
- 渡連(どれん)
- 呑之浦(のみのうら)
- 野見山(のみやま)
- 与路(よろ)- 島の宝100景の|涼をよぶサンゴの石垣、がある集落(与路島)
- 旧実久村 - 加計呂麻島
- 阿多地(あだち)
- 嘉入(かにゅう)
- 木慈(きじ)
- 薩川(さつかわ)
- 実久(さねく)
- 芝(しば)
- 須子茂(すこも)
- 瀬相(せそう)
- 瀬武(せだけ)
- 武名(たけな)
- 知之浦(ちのうら)
- 西阿室(にしあむろ)
- 俵(ひょう)
- 三浦(みうら)
- 旧西方村 - 奄美大島南西端部
- 阿室釜(あむろがま)
- 久慈(くじ)
- 花天(けてん)
- 管鈍(くだどん)
- 古志(こし)
- 篠川(しのかわ)
- 西古見(にしこみ)
歴史
近現代
- 1908年4月1日 - 島嶼町村制施行により、現在の町域にあたる大島郡焼内村(その一部が当町)・東方村・(鎮西村)が発足。
- 1916年5月20日 - 焼内村から(西方村)が分立。 鎮西村から(実久村)が分立
- 1936年4月1日 - 東方村が町制施行・改称し古仁屋町となる
- 1946年1月28日 - アメリカ合衆国(琉球列島米国民政府)の統治下におかれる。
- 1953年12月25日 - 奄美大島の日本返還により再び日本国に属する。
- 1956年9月1日 - 西方村・古仁屋町・実久村・鎮西村が対等合併。瀬戸内町が発足。
- 1976年9月 - 台風17号による暴風雨のため、同月12日まで嘉鉄地区との連絡が一時途絶状態になる。嘉鉄地区だけでも110戸のうち69戸が大破[2]。
- 2022年(令和4年)1月8日 - 鹿児島県は島内の新型コロナウイルス感染症患者の急増を受けて、5市町村に独自の緊急事態宣言発令を決定。同月11日から24日までの間、飲食店における酒類の提供停止と営業時間短縮を要請[3]。
行政
行政組織
- 町長:鎌田愛人(かまだなるひと)(2015年6月25日就任、2期目)
町の行政機関
県の行政機関
国の機関
- 海上保安庁 第十管区海上保安本部 奄美海上保安部 古仁屋海上保安署
- 防衛省
産業
第一次産業では、就労人口では農業が約半数を占めててもっとも多いが、生産額では水産業が農業を大きく上回る。第二次産業では、製造業の大きな事業所がなく、台風等による道路の改修、家屋の修理などの需要が多いため、建設業が最も盛んである。過去にあった木材チップ工場や黒糖焼酎の工場は閉鎖された。
地域
人口
瀬戸内町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 瀬戸内町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 瀬戸内町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |
瀬戸内町(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
1965年には20,346人いた人口は毎年減少を続けており、町全体でおよそ半減したが、特に加計呂麻島・与路島・請島では人口が1/4から1/5に減少した。また、町内の人口は中心地の古仁屋に集中化を続けているため、集合住宅も多く建設されている。
2016年3月末現在の世帯数は5,202、人口は9,176人[4]。
教育
高等学校
小・中学校
- 町立
- 瀬戸内町立古仁屋中学校
- 瀬戸内町立俵中学校
- (瀬戸内町立古仁屋小学校)
- (瀬戸内町立薩川小学校)
- (瀬戸内町立俵小学校)
- (瀬戸内町立西阿室小学校)
- (瀬戸内町立嘉鉄小学校)
- 瀬戸内町立阿木名小中学校
- 瀬戸内町立油井小中学校
- 瀬戸内町立久慈小中学校
- 瀬戸内町立諸鈍小中学校
- 瀬戸内町立秋徳小中学校
- 瀬戸内町立伊子茂小中学校
- 瀬戸内町立池地小中学校
- 瀬戸内町立与路小中学校
- 瀬戸内町立篠川中学校
交通
空港
航路
長距離航路の最寄り発着港は古仁屋港。町内では各島を結ぶ町営旅客船・フェリーが運航されている。このほか、海上タクシーもよく利用されている。
バス路線
一般路線バス
道路
一般国道
県道
- 主要地方道
奄美海運「フェリーきかい」
加計呂麻島を結ぶ「フェリーかけろま」
請島・与路島を結ぶ「せとなみ」
待機中の海上タクシー
名所・旧跡・観光スポット
祭事・催事
瀬戸内町出身の有名人
- 朝崎郁恵(唄者)
- RIKKI(唄者、歌手)
- 元ちとせ(唄者、歌手)
- 沙人(俳優)
- 里朋樹(唄者)
- 里歩寿(唄者)歌手(あゆたーりメンバー)
- 西和美(唄者)
- 島尾ミホ(作家)
- 三島瑞穂(作家、軍事評論家、元アメリカ陸軍曹長(アメリカ陸軍特殊部隊群所属))
- 緑健児(空手家、特定非営利活動法人全世界空手道連盟新極真会代表)
- 明生力(大相撲力士)
- 重ノ海博久(大相撲力士)
- 慶天海孔晴(大相撲力士)
ゆかりの有名人
脚注
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 奄美大島瀬戸内町観光協会 加計呂麻島・請島・与路島 こころゆったり島時間
- ウィキトラベルには、瀬戸内町に関する旅行ガイドがあります。
- 瀬戸内町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ